おかれた場所で咲くことができるのだろうかわたしは
大学院の先生のすすめと、そのときちょうどてんしょくをかんがえていたのもあって、なった文化財職員(公務員)
そのときは週6で朝から晩まではたらいていて、寒いときも暑いときも一日中外ではたらいていて、そんなのよりはまちがいなく休めるから良い!とおもっていたのと
わたしのなかで、つかわれるほうからつかうほうにいくのはキャリアアップだ!とおもっていたので
あまりかんがえもせず、すぐにてんしょくした。
でもてんしょくして、けっこんもして、通勤時間が倍になって、まえよりねれなくなって、かえってきても、
は〜〜
とりためたドラマみよ❤️
っていう楽しみのじかんより
とにかくはやくねなくちゃ
っておもうことがおおくなって、まいにちなんのためにいきているのかわからない。
しごとでも、考古学をやめようとしてたのに、目先の利益にとらわれて文化財職員なんかになってしまったから、考古学やらなくちゃならなくて
求められるちしきも、けいけんも、ひょうかもぜんぶ考古学目線で
おかれたら、その場所で咲くことができるってなんとなくおもっていたけど、
かんたんには咲くことのできない場所もあるってわかった。
でも、この仕事をやめることができたらなにがしたいってきかれてもこれです!といえるほどのものはなくて、
いままでやってきて楽しかったことをやるほどの勇気はなくて。
リスクをとってやってみたいことをやるのか、このまま咲くかどうかわからないけど、たえて、ちいさな努力をつづけるか。
わたしはおかれた場所で咲くことができるのだろうか。